人と交流できるっていうところなのだけど、わたしは
ここ数カ月、薄っすらと窮屈さを感じているのです。
何が窮屈なんだろう〜。気になってはいたのだけど、
語彙が少ないから言葉にできなくてさ〜。
それが、わかっちゃったんです。交流から繋がりに
なって、いつの間にかしがらみになってしまってたん
だなぁ。←全部ではありません。一部です。
本人が望むと望まないとに関わらず、SNSにはそういう
側面もあったのだー! やれやれ。
少し前に話題になった、蛭子能収さんの発言。
「ようするに、幸せな家庭というのを人に見せたく
ないんですよ」
「みんな家庭が仲良くしたりするじゃないですか」
「必ず不幸な人があっちこっちにいて、そういう
家庭を見たら絶対恨んでるはずなんですよ」
「子供を可愛がったり、いい洋服を着せたり、
それを傍からジーっと見てる人がいるんです」
〜蛭子能収「幸せな姿は他人に見せない方が良い」〜
あぁ、そうなの。まさにそう。覚えるわぁ、ドヤ顔で
リア充晒す人に違和感。
翻って考えると、わたしの発言に違和感持つ人は必ず
いるのよ。そりゃ当然。って考えると、自由に発言
できない窮屈さに繋がって行ってしまうんだー。
考えすぎかもしれないけど。
from:http://chalow.net/2014-01-16-1.html
怖いぃぃ! いまのSNSって、こういう空気が少なから
ず存在しているよ。自分の肌感覚だけども、ツイッター
が爆発的に流行り出す前はそんなの感じなかったんだ
よねぇ。
試しに別な、誰とも繋がっていないSNSで新しい世界を
覗いてみるとわかるもん。
重たいのは苦手だな。所属とか背景とか関係なく、
わたしはわたしでしかないのだからさ。悩んでは
いないよ。ネットから距離をおけば済むことだからね。
脱ネットりすきぃ。
…有名な人は、もっと窮屈なのかもしれない。歩いてる
だけで犬に吠えられることもあるしさ。大変だ…やっぱり
疲れたら脱ネットだよ。
\\まとめ//
女の敵は女だって言うけど、でも本当に厄介なのは男の
鬼女だからね。ヒヒ…